彼らはただ法律上、夫婦関係なだけだ。彼が酔っ払ったとしても彼女に世話をさせるわけにはいかない。彼が酔っ払っている隙によからぬことをしでかすとも限らないだろう。 このお兄さんは三十歳だが、初キスもまだ誰にも差し出していなかった。 穢れなき御身であることはまた言うまでもないだろう。 彼は愛情というものを求めたことはなかった。 おばあさんはいつも彼が感情を知らない冷徹男だと怒っていた。しかし彼が愛というものに何も期待していないおかげで、おばあさんの遊説を聞き、彼女を満足させるために大人しく内海唯花を妻として迎え入れることになったのだ。 体中探してみても結城理仁は家の鍵が見つからなかった。「......七瀬、やはり彼女を起こしてくれ」 彼は家を出る時に、家の鍵を持って出るのを忘れたのだ。 ボディーガードはすぐさまドアをノックした。 内海唯花は寝ていたが、浅い眠りだったのでドアをノックする音が聞こえた。彼女が起きてよく耳をすませてみると、やはり誰かがノックをしているようだった。急いで起き上がりドアを開けにいこうとしたが、自分はパジャマを着ていることを思い出して、クローゼットから冬用のコートを取り出し、それを羽織っていった。 ドアが開くと、結城理仁と七瀬は内海唯花が分厚い冬用のコートを着て出てきたので驚いてしまった。 今は紛れもなく十月だ。朝と夜は少し涼しさを感じられたが、昼間はまだ死ぬほど暑かった。 冬用のコートを着るにはまだ早すぎるだろう。 「こんばんは。運転代行です。旦那さんがお酒に酔っているようなので連れてあがってきました」 七瀬の反応はとても早く、とりあえず嘘をついて結城理仁と車の鍵を内海唯花に引き渡した。 内海唯花は一瞬で自分が一頭の馬を抱えているように感じられた。お、重すぎる! 「どうもありがとうございました」 内海唯花は七瀬にお礼を言うと、七瀬は当然ですと言って若旦那様をちらりと見て、さっさと帰っていった。 ドアを閉めてドアロックをかけた。内海唯花は足元がおぼつかない結城理仁を支えながら、愛想を尽かして言った。「なんでこんなにお酒を飲んだんです?全身からお酒の匂いがプンプンしますよ」 結城理仁は何も言わず、心の中で愚痴をこぼした。おまえのせいだ! 車の鍵をテーブルの上に放り投げ、内海唯花
週末、実は店は暇だった。一日を通して特に商売になるような状況ではないので、別に店を開ける必要はなかったのだ。内海唯花が店に来たのは、静かにネットショップで売る商品を作ることができるからだ。そこへ牧野明凛もやってきた。内海唯花が店にいるのを見て、牧野明凛はとても驚いて言った。「唯花、今日は日曜日だよ。どうして来たの?いつもなら甥っ子を連れて公園に遊びに行ってるじゃない」「ネットショップに新しい商品を出さないといけないから」内海唯花は売る小物をハンドメイドしながら、頭を上げて親友に笑って言った。「あなたこそどうしたの?」「聞かないで。お母さんにぶつくさ言われて耐えられなかったから店まで来たんだから」「おばさん、どうしてまた?」「あの日の夜のパーティで私が高値の錦鯉のオスを釣れなかったこと責めてるんでしょ、どうせ。お母さんったら上流階級の御曹司が簡単に糸に引っかかるもんだと思ってるのよ。自分の娘がそれに見合うのかも考えないでさ。私を絶世の美女だとでも思っているのかしらね」内海唯花はぷっと吹き出しだ。世の中の親というものはだいたいこういうものだろう。娘が結婚適齢期になったら、娘の結婚という人生の一大イベントにやきもきし始めるのだ。二十五歳と聞くと親の世代は、女は二十五過ぎたらもう歳で、売れ残りというクリスマスケーキ理論を展開する。しかし今の時代、この年齢はまだまだ若いうちに分類されるのだ。「お母さんったら、おばさんが彼氏紹介してあげるっていうんで、今晩カフェにお見合いに行ってこいですって。夜にカフェでお見合いなんてさ、ほんとコーヒー一杯で朝までお見合いできそうよねぇ」「唯花、今晩ついて来てくれない?」内海唯花は首をでんでん太鼓のように横に振った。 「唯花ちゃーん、首を横じゃなくて縦に振ってよ。私たち親友でしょ、お・と・も・だ・ち!唯花が一番義理堅いんだから、友達のためなら命も惜しまないでしょ?」「私義理人情に厚い人間じゃないから。あなたのために命を差し出す人なら、他をあたってちょうだいな」牧野明凛はご機嫌取りにこう言った。「男の人とちょっと話したら、美味しいもの食べに連れてくからさぁ」「私お金には困ってないので。食べたかったら自分で行きますから、奢ってもらう必要なんてございません」内海唯花は親友と一
おばあさんは内海唯花のハンドメイドの作品をいくつも受け取っていた。 中には細部まで丁寧に作られており、本物の花に見間違うようなビーズ作品もあった。おばあさんはそれを家の目に付く場所に飾っていた。それがどれほど価値のあるものではなくても、孫息子の嫁からの心がこもった贈り物だ。お客さんが訪問した時に、それを見て内海唯花の器用さに感嘆していた。おばあさんはここぞとばかりに内海唯花の作品の販路拡大をしていたのだ。実はその人たちがみんな内海唯花のネットショップで購入していて、こっそり陰で内海唯花の売上に貢献していたのだ。「結城おばあさん、お水をどうぞ」牧野明凛はおばあさんに水を持ってきた。「ありがとう、お嬢さん。あなたも今日ここにいるのね」「ええ、母からしつこく結婚の催促をされてなければ、店に隠れに来たりしなかったんですけどね。いっつも私のお見合いを勝手に決めて、売れない商品扱いされてる気分ですよ。今晩もカフェに行ってお見合いして来いなんて言われちゃって。それで今唯花に一緒に来てもらえないか頼んでいたところなんです」おばあさんの瞳がきらりと光り、笑みを浮かべて言った。「私はお母様のお気持ちがわかりますよ。今理仁以外の孫たちの結婚に頭を悩まされているんですから。いくら言っても聞いてくれないし。あの子たちにお見合いに行かせようとしたけど、一人も行かないのよ」「唯花ちゃん、今晩このお嬢さんに付き添って行ってきたらどうかしら?」内海唯花「......」おばあさんはなんと彼女に明凛のお見合いに付き合うように助言してきた。「あなたとこのお嬢さんは親友なんでしょ。彼女が行くなら一緒にあなたも行って、彼女と一緒にお相手の方をしっかりと見て評価するのも良いことだわ。なんといってもあなたはもう経験者なんだから」牧野明凛は激しく頷き、おばあさんは天の助けだと思った。「唯花、一緒に来てよ。あなたが来ないなら私も行かない。代わりにお母さんをどうにか言いくるめてちょうだい。いっつもお見合いを勝手に計画しないでって」牧野明凛は内海唯花に甘えてきた。おばあさんはまた隣で悪事の手助けをし、内海唯花は静かになりたかったので、仕方がなく言った。「今回だけですからね、二度目は絶対にないわよ!」「やった、唯花ってやっぱり最高の友達だわ」牧野明凛は親友
おばあさんは笑って言った。「なんでそんなに及び腰になっているの?あなたたちはもう結婚して立派な夫婦なんだから。理仁から来ないっていうのなら、あなたから行かなくちゃ。おばあちゃんはひ孫の顔が見たいのよ」内海唯花は顔を赤く染めて言った。「おばあちゃん、これ言うと怒るかもしれないけど、おばあちゃんのお孫さんにあんなに厳しくて冷たい顔を向けられたら、キスすらできないわ」おばあさん「......」結城理仁のおじいさんは生まれつき厳しく冷たい人間だった。おばあさんが若い頃、おじいさんのことを気に入り、何年も彼のことを追いかけていた。あらゆる手を尽くし終えてようやく手に入れたのだ。「彼にキスするとしたら、まるで冷凍室で一年間凍らせた冷たくてカチカチの骨にキスするような感じよ。そのせいで歯が全部抜けたらどうしましょう」おばあさん「......」「おばあちゃん、私と理仁さんのこと、心配しないで。自然にまかせましょ」どうせ彼女もただルームメイトとして過ごすだけだ。おばあさんは心の中で拒否した。彼女が心配せずにいられるだろうか。この子はおばあさんのお気に入りの孫息子の嫁だ。二人の結婚話が出た時、彼女は孫娘の不満も考えていなかった。そして、全力で催促してこの結婚を成立させた張本人だ。もし内海唯花がこの結婚で不幸にでもなったら、彼女は死ぬまで自責の念に苛まれるだろう。「わかったわ。自然に任せましょう。ここはおばあちゃんが片付けとくから、自分のやることを優先してちょうだい」おばあさんは家でもじっとしていられない人だった。いつも庭師の手伝いをし草花を手入れしたりしていた。以前は琴ヶ丘邸の周辺にある田畑の手伝いまでしていた。息子や孫たちから言われてようやくそれをするのをやめたのだ。さらにまた自分の家の会社の掃除もしに行くつもりだったが、彼女がそう言うと結城理仁の顔は一瞬で雷様になってしまった。恐ろしくて彼女は行くに行けなくなってしまった。おばあさんが店に来て内海唯花とおしゃべりするのは今回が初めてのことではなかった。内海唯花もおばあさんが人生の大部分を苦労してきたことはわかっていた。だからじっとしてはいられないのだ。片付けなんて朝飯前だろう。それでおばあさんに本の片付けや整理をするのを任せて彼女は自分の仕事に集中した。ハタキを持って本棚にある本を
牧野明凛はもっと嬉しげに笑った。この話し方にユーモアがあるおばあさんが大好きだった。彼女はまだ結城理仁本人に会ったことがないが、親友からとても厳しくて冷たい人だと聞いていた。どうしてこんなにユーモア溢れるおばあさんからそのような孫が誕生したのだろうか。結城おばあさんとちっとも似ていないじゃないか。 すぐ結城辰巳がやって来た。 彼はお忍びで城下町まで遊びに来ていたお局様を迎えに来たのだ。このお局様はわざわざ彼に安い車で迎えに来るように伝えていた。 車庫にある一番安い車は使用人が買い物に行く用のBMWなのだが、それでも2000万はする車だった。新しいのを買いに行くのも間に合わないので、結城辰巳は庭師のピックアップトラックを借りるしかなく、その車でおばあさんを迎えに来た。 「義姉さん、ばあちゃんを迎えにきました」 結城辰巳は店に入ると内海唯花に挨拶した。 「ええ、気をつけてね。おばあちゃん、家に着いたらメッセージを送って」内海唯花はおばあさんと孫の二人によく言い聞かせた後、この日作った作品を二人に手渡した。彼女が結城辰巳に手渡したのは器用に作られた招き猫だった。 結城辰巳はそれを素直に受け取った。家でたくさん義姉の作品を見ていて、彼もとても楽しんでいたからだ。義姉の作るハンドメイドはそんなに高いものではないが、とてもきれいだと思っていた。 そしてすぐ結城辰巳はおばあさんを連れて帰っていった。 車が店から離れた後、おばあさんは二番目の孫に尋ねた。「この車どこで探してきたのよ?」 「田中さんがいつも肥料とか、鉢植えとか運ぶ時に使ってる車だよ。俺が借りてきたんだ。これなら義姉さんも何も疑わないだろ?」 一番上の兄が貧乏人を装っているので、彼らもそれに合わせて義姉の前では貧しいふりをしなければならなかったのだ。 しかし、これはこれで楽しかった。 結城辰巳はいつか兄が本気で義姉のことを好きになり、自分の正体を明かした時、義姉が騙されていたことを知ったら、どんな反応をするのか楽しみだった。 そうだ、実を言うと、彼は兄が彼女に振られ、彼女との関係を取り戻すのに必死になる姿を期待しているのだ。 「この車はやけに見覚えがあると思ったら、なるほど田中くんのだったのね」 おばあさんは携帯を取り出すと結城理仁に電話をかけた。 結
「あなたに何がわかるんだい?」このばあさんには計略があるのだ。結城辰巳はなにか悟って笑って言った。「ばあちゃん、また兄さんにドッキリを仕掛けるつもりなの?」おばあさんは横目で彼をチラリと見て言った。「これ以上無駄口を叩くなら、あんたに仕掛けるわよ」結城辰巳はすぐに黙りこくった。彼は兄に同情していたが、自分に災いが降りかからないように、やはり余計なことには口を挟まないほうがいいのだ。自分が死ぬより兄が死んだほうがよっぽど良いだろう。おばあさんは年を取ったいたずらっ子だ。子供心が非常に強い人で、自分の孫たちをつかまえて練習台にするのを楽しんでいた。一方、内海唯花は本屋を閉めて、親友からヘルメットを受け取って被り、車の鍵を取って言った。「私が運転する!」牧野明凛は大人しく後ろに座り、とても自然に内海唯花の腰に手を回して言った。「唯花、あなたが男なら良かったのに。それなら私あなたのところにお嫁に行くわ。それならお母さんから毎日毎日結婚の催促なんてされなくて済むのに」「大人しくしてて、勝手に触っちゃダメよ。あなたをバイクから振り落としちゃうかもしれないわよ!」内海唯花は親友にそう注意してから、バイクのエンジンをかけ、運転した。カフェ・ルナカルドなら内海唯花はよくその前を通っていたが、一度も店に入ったことはなかった。ただ彼女はコーヒーが嫌いだからだ。好きなのは薔薇茶か菊花茶だ。カフェ・ルナカルドに到着すると、お見合い相手はすでに店に来ていた。おそらく女性に好印象を与えるためだろう。男性はスーツに革靴スタイルで紅白ストライプのネクタイをつけていた。手には薔薇の花束を持って入口で待っていた。牧野明凛は親友の手を引っ張り彼のほうに向かって歩いていった。「すみません、河西さんですか?」 河西は牧野明凛と内海唯花を上から下までじろじろ眺め、はじめ彼の今晩のお見合い相手がどちらなのかよくわからなかった。紹介してくれた人はお見合い相手の写真を彼に見せてくれていた。彼はその写真を適当にチラッと見て、女性がとてもきれいだということだけ確認すると、あとは牧野嬢がどのような顔をしているのかまではよく覚えていなかった。紹介した人が彼に薔薇の花束を持って入口で待つように伝えていたので、牧野はお見合い相手が彼だとすぐにわかったのだ。「あな
「牧野さん、もっとゆっくりしていってくださいよ」河西は優越感に浸り、それを見せつけるのに力を入れているところなのだ。今牧野明凛を帰すなんてそんなもったいないことはしたくなかった。「河西さん、すみません、私たち合わないと思います。今後会うこともないでしょう」牧野明凛は直球ストレートで彼に投げつけると、内海唯花の手を引いて去っていった。歩いていると、親友が突然立ち止まって動かなかった。「唯花、どうしたの?」「私の夫だ」「はあ?」牧野明凛がまだそれに反応する前に結城理仁が二人の前に現れた。彼は深く沈んだ漆黒の瞳を内海唯花に落とした。口角を少し上げて何も言わなかった。しかし、内海唯花には彼から漂ってくる皮肉を感じ取っていた。なにを皮肉っているのだろうか?内海唯花は後ろを振り向き追ってきている河西を見てすぐに理解した。彼女はどういうことなのか説明した。「私の友達の明凛がお見合いに来たんです。私は彼女に付き添って来ただけですよ」彼女は別に焦って次を探しに来たわけではなかった。しかし結城理仁は依然として沈黙を保っていた。牧野明凛はここにきてやっと親友のスピード結婚の相手に会うことができた。超クールでカッコイイ!彼女は結城理仁が唯花のことを誤解しないように、事のいきさつを説明した。結城理仁はようやく口を開き冷たく言った。「さっさと家に帰れ」内海唯花は一言「うん」と言って彼に尋ねた。「あなたはどうしてここに?」「ばあちゃんがこの店の菓子を買ってこいと言ってきたんだ。ここのが好きだからな」結城理仁はおばあさんがわざとしたことだとわかった。内海唯花が親友のお見合いに付き添って来ることを知って、わざわざ彼にお菓子を買いに行かせたのだ。内海唯花が他の男と一緒にコーヒーを飲んでいるのを目撃し、孫息子がヤキモチをやくと思ったのだろう。「ああ」内海唯花は簡単にそれに答えると、夫婦はお互い黙ってしまった。結局内海唯花がこの膠着状態を打開して言った。「じゃあ私先に帰ります。おばあちゃんにお菓子を買って持っていてあげてください。ドアはロックしないでおきますから」結城理仁は低く冷たい声で答えて言った。「わかった」夫婦二人はこのようにして分かれた。内海唯花は親友のバイクに乗ってこの店を離れた。結城理仁はお菓子
内海唯花は結城理仁とおばあさんが一体何を話したのかわからなかった。カフェ・ルナカルドで結城理仁に偶然出くわしたことは、最初彼女にとって意外なことだった。しかし、おばあさんが牧野明凛のお見合いに付き添うように言ったことをこれと連想されると、内海唯花は結城理仁がどうしてあの場に現れたのか納得した。でも、おばあさんはどうしてこのようなことをしたのだろうか。結城理仁に誤解させるため?お見合いに行ったのは彼女ではなく、明凛だ。結城理仁があれを目撃したからといって別に......さっきカフェで結城理仁を見た時、結城理仁の表情はいつもよりもさらに霜焼けするほど冷たかった。内海唯花がいくら鈍くても、結城理仁があの時勘違いしたことはわかった。あの時、明凛がお手洗いに行っていて、彼女だけが河西と一緒に座っていたからだ。結局は明凛が戻ってきたので事なきを得た。彼女がすぐさま経緯を説明したので、結城理仁の顔つきは少し和らいだ。内海唯花はただどうしておばあさんが、このようなことをしたのかが理解できなかった。彼女はおばあさんを助けたことはあっても、恩着せがましいことは何もしたことはなかった。おばあさんはずっと彼女を恩人だと言って、いつも彼女によくしてくれた。道理から言えば、彼女をはめるようなことはしないはずだ。どういうことなのか頭で考えを巡らしながら内海唯花は家に帰ると、すぐベランダに行きハンモックチェアに腰掛けた。電気もつけずに外の夜空を静かに眺めていた。結城理仁はというと深夜にやっと帰ってきた。彼が帰ってきた時、内海唯花は夢の中だった。彼女はハンモックチェアでそのまま寝てしまった。結城理仁はそれを全く知らずに内海唯花の部屋のドアが閉まり、明かりも消えていたことから、彼女はもう寝てしまったのだと思った。そしてソファに座りテレビをつけた。彼がテレビを見るのは珍しいことだったが、家の中が静かすぎると思いテレビをつけたのだ。音量は一番小さくしていた。部屋で寝ている内海唯花を起こすと悪いと思ったからだ。「リンリンリン......」携帯が鳴った。表示された相手を見ると、辰巳からだった。「辰巳」「兄さん、大丈夫か?」結城辰巳は電話の中で心配して尋ねた。結城理仁は黙った後、彼に聞いた。「おまえ、ばあちゃんが俺をはめるって知ってたのか」
牧野明凛は意外そうに尋ねた。「本当に?フラワーガーデンが高級マンションってのは間違ってないけど、まさかロールスロイスを運転してる人までいるとはね。なんでその人って一戸建ての大きい家に住まないんだろ?」「結城さんが、近くの学校に通ってる子供がいるから、通学に便利なようにフラワーガーデンの部屋を買って住んでるんじゃないかって言ってた。もしかしたら、その人いくつも家を持ってるかもよ?」牧野明凛は笑った。「それもそうだね。さあ、スーパーに行こう。あ、そうだ、結城おばあさんが来るって言ってたよね?」「来ないって」「なんで?」「家の持ち主が同意しなかったんでしょうね」牧野明凛「……」親友の家の持ち主と言えば結城理仁じゃないのか?彼は結城おばあさんの孫だろう。おばあさんが週末来たいというのに、孫がそれを拒否するなんて……祖母不孝者め!二人は牧野明凛の車に乗り込むと、カフェ・ルナカルドを後にした。少し車を走らせて、大きなショッピングモールに車をとめた。モール内をぶらぶらして、二人は両手にたくさんの買い物袋をぶら下げて出て来た。この時、内海唯花は以前、結城理仁と一緒にモールを回ったのを懐かしく思っていた。彼がいれば、彼女がどれだけ買っても、代わりに持ってくれた。牧野明凛は荷物を車に載せた後、ぜえぜえ息を切らして言った。「ショッピングする時は、男性がいればいいのにって思っちゃうわね。買い物してる時は、あれもこれもってなるけど、いざ荷物を持つとなると、まったく、重くて死んじゃう。なんであんなに買っちゃったんだろうって後悔しかないわ」内海唯花はそれを聞いて思わず笑った。さすが、彼女と牧野明凛が親友になるはずだ。二人の考え方はまったく同じだった。これって、彼女がさっき考えていた結城理仁と一緒にスーパーを回った時の良いところを、親友が口に出したんじゃないか。「だったら、早く彼氏を見つけることね。これから先ショッピングする時は楽ちんでしょ」牧野明凛は運転席に座り、シートベルトを締めながら言った。「見つけたいと思ってすぐ見つかると思うの?自分に合った人を見つけないといけないし、いいなって思うような人じゃないといけないじゃない。そんなに簡単に見つかるんなら、私だってずっと独り身でいないわよ。家族から結婚の催促ばかりされて家に帰りたく
九条悟も少し呆気に取られていた。この上司は彼の前で何度も妻がいることを自慢していたが、あれは全部演技だったというのか?だけど、結城おばあさんはすでに会社のことは全て孫に任せていて、会社に来ることは稀だ。だから、結城理仁は彼の前でそんな演技をしてみせる必要はないはずだ。ボケちゃったのか?まあいい、それは結城理仁のプライベートな事だ。彼は自分でどうにかできるだろう。彼ら親友たちは何か面白いことがあれば、椅子とポップコーンでも持って来て、かたわらでそれを食べながら座って見ていればいいのだ。何も面白いことがないなら、家に帰って寝るまでだ。二時間後のこと。内海唯花は時間を確認し、もう三時になったので親友に言った。「明凛、そろそろ帰ろっか。お姉ちゃんのとこにも行かないといけないから」「わかったわ」牧野明凛も時間を見て、親友が帰るというのに何も意見はなかった。「後でちょっとスーパーに行こう。フルーツとおもちゃ二つ買って私もお姉さんの家に一緒に行く。家に帰りたくないのよ。母さんのあの意地悪な継母みたいな顔といったら、帰る気なくすわよ」内海唯花は笑って言った。「大塚家のパーティーで誰かさんが床に寝ちゃったせいでしょ?あなた自身も恥かいたのに、牧野のおばさんの面子も潰しちゃって。お母様が怒って当然よ」牧野明凛は自分がやらかした事を思い出し笑って言った。「恥くらいかけばいいのよ。母さんとおばさんに私は大和撫子で優秀な女性だからお妃様にでもなれるっていう妄想を消し去ってもらいましょう。今やあの人たちも大人しくなって、私も静かに過ごせるってもんよ。「あれ、ねえ唯花、あのテーブルに座ってる三人組、あの人あんたんとこの結城さんじゃないの?」牧野明凛が立ち上がって結城理仁を見て親友の手をポンポンと叩き内海唯花に確認させようとした。内海唯花は親友に促されて見てみると、本当に彼女の夫がそこにいた。「彼だわ」結城理仁が全身から漂わせるあの冷たく厳しい雰囲気を持っている人間は滅多にお目にかかれない。内海唯花は一目ですぐ彼だとわかった。「ちょっと挨拶しに行かなくていい?」内海唯花はためらって言った。「彼は友達と一緒みたいだし、彼らとは知り合いじゃないわ。声かけるのもあまり良くないんじゃないかな」実際、結城理仁の友人とは一人も会っ
結城理仁と親友たちがここで食事をしていたことなど、内海唯花は全く知らなった。彼女と親友の明凛、そして金城琉生の三人は食べながらおしゃべりをし、かなり長い時間レストランにいた。金城琉生にある電話がかかってきて、先に帰らなければならなかった。内海唯花は言った。「私と明凛も十分食べたわ。じゃあ、お会計してくる。琉生君、急用があるなら早く行って。私たちは隣のカフェに行っておしゃべりするから」以前親友に付き合ってお見合いでここに来てから、内海唯花はルナカルドの落ち着いた雰囲気を気に入っていた。この付近は人通りも多く、とても賑やかなところだ。カフェ・ルナカルドの店長はお金を惜しむことなく、店の中は防音がしっかりしている。それでこのカフェに一歩踏み入れると、外の喧騒からは離れることができるのだ。金城琉生は従姉も車で来ていることを思い出し、後で内海唯花を家まで送ることができるので、こう言った。「明凛姉さん、唯花さん、じゃあ俺はこれで」「うん、運転気をつけてね」牧野明凛は従弟にそう注意した。「姉さん、後で唯花さんを送ってあげてね」内海唯花は車を持っているが、あまり使用することはない。ガソリン代も上がっているし、満タンにするだけでも何千円もかかってしまうのだ。使わなくていいなら、使わない。生活していくには、細かく計算して生きていかなければならないから。結城理仁は彼女に渡している生活費に関しては十分だと思っているのだが。彼女も贅沢に使うことはできない。牧野明凛は笑って言った。「わかったから、あなたに言われなくても唯花お姉さんは私が送っていくよ。早く自分の用事済ませなさい。週末なのに、ゆっくりご飯を食べることもできないなんてね」大企業の後継者になるのは、そう簡単なことではない。金城琉生は少し名残惜しそうにしていたが、仕方なくその場を離れた。内海唯花は会計を済ませた後、親友と腕を組んで一緒にレストランを出た。そして隣にあるカフェ・ルナカルドへと歩いて行った。彼女が店に入ると、結城家のボディーガードはすぐに彼女に気づいた。そしてすぐに結城理仁に連絡した。結城理仁はコーヒーは飲んでおらず、ただ祖母のカフェで少しゆっくりしたかった。静かに落ち着きたい。内海唯花から影響を受けた心を静めたいのだ。ボディーガード
たとえ名義上の夫婦でも、結婚を秘密にしているのは東隼翔も面白くないと思った。結城理仁は友人二人がからかってくるのを聞きながら、それ以上は話さず、引き続き食べていた。そしてすぐにお腹いっぱいになった。「俺はばあちゃんのカフェで座ってるから、二人はゆっくり食べてくれ」箸を置いて、ティッシュで口元を拭くと、結城理仁は立ち上がり、そこから離れようとした。「俺らも腹いっぱいになったし、一緒に行くよ」東隼翔と九条悟も箸を置き、結城理仁と一緒に隣にあるカフェ・ルナカルドへと行くことにした。ボディーガードたちもすでに食事を終えていて、自分たちの主人が店から出ていこうとするのを見て、何も言わず立ち上がり主人を守るようにそっと外へと向かって行った。女主人に気づかれないように。女主人は金城家のお坊ちゃんと食事をしている。金城坊ちゃんは彼らの主人と顔を合わせたことがある。だから女主人には気づかれてはいけないのだ。もしそうなれば主人の正体がばれてしまうから。東隼翔はお会計に行った。九条悟は彼が会計を終わるのを待って一緒に外に出た。歩きながら小声で話した。「隼翔、今日理仁のやつ、なんかおかしいと思わないか?いや、店に着いた時にはいつも通りだったろ。表情だってあんなに冷たくなかったしさ」結城理仁が落ち着いていて、冷たく厳しい感じの人だというのは誰もが知っている。しかしプライベートで友人たちと付き合う時には、ある程度その冷たさは消え、友人に対しては和らいだ表情を見せる。「あいつがトイレから戻って来て、ちょっとおかしくなったよな」九条悟は突然足を止め、後ろを振り向いて中へと進み言った。「ちょっとトイレに行って、あいつに何があったのか確認してくる」東隼翔は彼を引き留め、外に向かって歩き出すと、笑って言った。「あいつが何か見てたとしても、もう時間が経ってるんだから、今行ってそれが見られると思うか?理仁はずっとあんな感じだ。お前の考えすぎだよ」東隼翔は誰かが、あるいは何かが結城理仁の顔色を一瞬にして変えることはできないと思っていた。結城理仁は落ち着き払っていて、たとえ山崩れが起きても顔色を変えやしないだろう。「考えすぎじゃないよ。あいつは絶対に何かに出くわして、突然冷たくなったんだ」九条悟は本当に興味津々で、結城理仁が一体トイレで
結城理仁は自分の席に戻ると、平常心を保っていた。注文した料理が運ばれてきて彼は食べ始めた。友人二人がどんな話をしても、彼は一向に黙ったまま何も話さなかった。頭の中には内海唯花が笑顔で金城琉生に料理を分けていた様子が浮かんでいた。「理仁、なんかお前今日変だぞ」東隼翔は料理を一口食べた後、向かいに座っている結城理仁を見ながら言った。「なんでずっと食べるばっかで、一言もしゃべらないんだ?」九条悟もそれを聞いて頷いた。結城理仁は淡々と「腹が減ってるんだ」と言った。朝食食べたくもないおにぎりを食べたが量は多くなかったので、彼は本当にお腹がすいていた。もちろん、機嫌が良くないのは言うまでもない。気分がすぐれないので、彼はひたすら食べ続けた。彼女が金城琉生に自分の料理をあげるのを彼は別に羨ましいわけではない。彼もそうしてほしいとでも?彼がヤキモチを焼くとでも思ってるのか?彼は以前言ったが、ヤキモチなど焼かない人間だ。ネチネチしたものなんて好きじゃない!彼ら夫婦はもともとルームメイトとして日々暮らしているだけだ。それに契約書にもサインして、プライベートなことはどちらもお互いに干渉したりしない。彼女が契約期間中に次の相手を見つけたいと思ったとして、金城琉生と同居して不倫などしない限り、彼は見て見ぬふりをするつもりだ。結城理仁は心の内で自分に言い聞かせていた。しかし、彼の頭の中には、やはりさっきの内海唯花と金城琉生が楽しそうに笑っておしゃべりしている光景が浮かんできた。親友二人はどちらも結城理仁がおばあさんからグチグチ言われて、それに耐えきれず結局おばあさんの命の恩人と結婚したことを知っていた。彼からお腹が空いていると聞いて、九条悟はからかって尋ねた。「君は奥さんがいるだろ?どうして腹が減るんだよ。今朝は何も美味しい物を作ってくれなかったのか?」これまで会社で彼に会った時には、毎回妻が彼と一緒に朝食を食べようと誘ってくると言っていた。結城理仁はいつも妻がいる人間なんだと自慢しキラキラした顔をしていたじゃないか。九条悟は手を伸ばし、結城理仁がこの日着ていた服を引っ張って言った。「妻がいる人間が、どうして自分で買った服を着ているんだよ」結城理仁は冷たい表情になり、九条悟の手を叩いて払うと、冷ややかな声で言った。「俺と彼女は
少し迷って彼は結局食卓に座り、再びその袋の結びを解いて、食べる気のなかったおにぎりを黙々と食べ始めた。内海唯花と生活するようになって、彼も少し普通の人の暮らしをするようになったと言わざるを得ない。今までの彼だったら普段食べることのない、多くの食べ物を口にするようになった。朝食を食べ終わると、結城理仁はベランダに行き、ハンモックチェアに腰掛け彼女が育てている草花を観賞した。十一時頃までそこに居続け、九条悟からの催促の電話を受け取り、彼はようやく部屋に戻って服を着替え出かけて行った。内海唯花が姉の家に行っているので、結城理仁は夫婦二人がばったり出くわすこともないと思い、ホンダ車には乗らずいつもと同じようにあの高級車ロールスロイスを運転していった。ボディーガードが乗った数台の車に送られて威勢よくビストロ・アルヴァへと向かって行った。付近まで来ると、車を祖母のカフェの前に駐車し、歩いてレストランへと向かった。そうすることであまり目立つことはない。結城理仁がレストランに到着した時、東隼翔と九条悟はすでに来ていて、彼に手招きしていた。彼はボディーガードを引き連れて中に入っていった。ボディーガードたちは三人のすぐ隣の席に座った。こうすれば近くで主人を守ることができるし、友人たちとの食事の邪魔をすることもない。東隼翔と九条悟の誘いだからこそ、結城家の坊ちゃんをここまで来させることができるのだ。結城理仁たちの選んだ席は静かな端の方の席だった。「理仁、注文どうぞ」東隼翔はメニューを結城理仁の前に置いた。結城理仁はそのメニューは置いたまま淡々と言った。「よく来ていた店だぞ、店長にいつものと言えばいい」「他のを試してみないのか?」九条悟がその言葉を受け取りこう言った。「彼はこだわりがあるから、他の料理にしたら食べられないかもしれないぞ。俺もいつものにしようっと」東隼翔は友人二人がいつもの料理を注文すると言ったので、店員を呼んで三人の料理を書いて渡した。「ちょっとお手洗いに」結城理仁は立ち上がって行った。ボディーガードが一人立ち上がり彼について行った。彼らはここで主人が何か都合の悪い状況になるかもしれないと心配しているわけではなく、彼に女性が付き纏うのを心配しているのだ。結城家の御曹司はまるで大きな移動式の磁
「隼翔が明日いつもの店で食事しようって言ってきたぞ。あいつ、毎回俺たちを誘う時はいつもビストロ・アルヴァに行くよな。確かにあの店の料理は最高だけど、隣が結城おばあさんがオーナーのルナカルドじゃなきゃなぁ。あのカフェでお茶でも飲んでリラックスできるってのに、さすがにあそこには行きたくないだろ」「あそこは俺たちが以前よくたむろしていた店だから、隼翔は昔からの情に厚いやつだな」以前、彼らがお互い今の立場にある前のこと。結城理仁がまだ社会経験を積んでいる途中、社長にも就任していない頃、自分の結城家の子息という身分を人に知られるのが好きではなかった。三人の親友たちはそれでよくこの中レベルのレストランで食事をしていた。カフェ・ルナカルドはここでは一番大きく高級なカフェだ。その周辺はアパレルにしろレストランにしろ比較的高級な店が多い。もしそれらの店のレベルが低ければ、ルナカルドに来る客の集客につながらないからだ。この高級カフェに来る客は普通、エリート揃いだ。このエリートたちは常に自分に対してお金は惜しまず使っている。カフェでお茶をした後はよく周辺にあるグルメを満喫したり、服を買ったりする。だから、この繁華街はカフェ・ルナカルドを中心にして中高級の消費エリアとなっているのだ。「行くか?」「ご馳走してくれるっていうなら、もちろん喜んで行くさ」結城理仁は珍しく笑顔を見せた。彼と九条悟、そして東隼翔の友情は厚く固い。東隼翔が食事に誘ってくれて彼がその誘いに乗るのはまた別の話で、主に家にいて内海唯花と顔を合わせるのが気まずいから、彼女と一緒にいる時間をなるべく減らすためだった。「じゃあ、俺も行こうっと。せっかくの週末なんだし、やっぱり羽を伸ばさなくっちゃな。食後は君のばあちゃんが経営しているカフェでだらだらしてさ、夜は海辺にバーベキューでもしに行くか?」結城理仁は断った。バーベキューに行くくらいなら、ゴルフに行ったほうがましだ。九条悟はぶつくさと暫く呟いてから去っていった。彼がいなくなってから、結城理仁は祖母に電話をかけた。「理仁、唯花ちゃんから何か連絡あった?」「うん」結城理仁は声を低くして言った。「ばあちゃん、もう年も取ったし記憶力が悪くなってるんだろうから、もう一度言っておくよ。俺はもうばあちゃんの希望を叶えて内海さ
結城理仁は淡々と言った。「伊集院善は確かに腕っぷしは大したことないだろうが、彼ら伊集院家はA市において結城家と同様トップの名家なんだ。安全のために彼が何人かのボディーガードを連れているのも別にお前だって今になって知ったわけじゃないだろう。なんでそんなに驚く必要があるんだ。お前もああいう光景に憧れるってんなら、毎日ボディーガードを十人くらい侍らせたらどうだ」九条悟はボディーガードを連れなくても、自身の護身術で十分だ。しかも、ほとんどの人は彼の正体を知らないので、もしボディーガードを侍らせていたら余計に人目を引いてしまうだろう。二人は仕事の話をしていて、そこへアシスタントがドアをノックして入ってきた。「社長、コーヒーをお持ちしました」アシスタントはできたてのコーヒーを持って来て、さっと結城理仁の前に置いた。アシスタントが退室した後、九条悟は親友兼上司をからかって言った。「昼は会社から飛び出して奥さんとイチャイチャしといて、午後は元気がなくなったのか。二杯くらい飲んどけよ、な」結城理仁は暗い表情になった。何がいちゃつくだ。彼は内海唯花との間にまたギャップが生じたと感じているというのに。彼女が彼を会社まで迎えに来たのを嬉しく思っておらず、彼女もまた何も言わないし怒りもしない。結城理仁は彼女が今後、二度と結城グループまで彼を迎えに来ることはないとはっきり断言できる。「なんだ?顔色が良くないぞ。まさか夫婦喧嘩でもしちゃったのか?見たとこ奥さんの性格は良さそうだけど」理屈が通じない相手というわけではない。結城理仁は暫くの間黙っていて、いくら待ってもその原因を口にはしなかった。九条悟の口は堅いと言えば堅いほうだが、噂が好きな男だ。彼は九条悟がいろんなことを知りすぎて、ある日酔った勢いで全て暴露してしまわないか心配なのだ。しかし、彼はまた九条悟から内海唯花との、このなかなか先に進まない硬直した状況を打破する方法を聞きたいとも思っていた。それで、彼はこう答えた。「もしかしたら、少し、彼女を傷つけてしまったかもしれない」九条悟の瞳がキラリと光り、立て続けに質問した。「どんなふうに?聞かせてくれよ」結城理仁は机の下で悟の足をひと蹴りした。九条悟は彼に蹴られて、ケラケラと笑って言った。「中途半端にしか教えてくれないって、理仁、そ
食事を終えた後、佐々木唯月は家に帰って休むと言った。午前中ずっと仕事探しをしていて、とても疲れていたのだ。仕事も見つからなかったし、それにショックも受けていた。家に帰ったら、もう少し自分の要求を低くして履歴書を書かなければならなかった。それで仕事が見つかるかやってみよう。「お姉ちゃん、家まで送るよ」妹に言われて佐々木唯月は妹の夫を見た。結城理仁はタイミングよく言った。「義姉さん、私は会社に戻ります」「ええ、気をつけてね」佐々木唯月はそう彼に言い、彼が去った後、まだ寝ている息子を抱き上げて妹の車に乗った。「結城さんが昼ご飯を食べる時間がそんなにないなら、会社までご飯を届けてあげたらいいわ。わざわざここまで来てまた行くのは昼休憩ができなくなるから」「わかった」内海唯花は車を出した。彼女はもう二度と結城グループには行かない。この言葉は言わなかった。姉に叱られるからだ。姉は明らかに妹の夫を気に入り認めていた。結城理仁が会社に戻った頃にはもう仕事開始の時間になっていた。エレベーターを出てすぐアシスタントの一人が彼を見て恭しく言った。「結城社長、九条さんがお待ちですよ」結城理仁は頷き、どっしりとした歩みでオフィスへと向かった。それと同時にそのアシスタントに「コーヒーを頼む。何も入れないでくれ」と言った。彼はブラックコーヒーを好む。彼はそれを聞いてすぐ反応して言った。「社長は午後、コーヒーをお飲みにならないのでは?」結城理仁は普通、朝一杯のコーヒーを飲めば、一日中目は冴えている。もし午後にまた一杯飲めば、夜はもう寝られなくなるのだ。だから、彼は午後にはコーヒーを飲まない。結城理仁が何も答えなかったので、アシスタントはそれ以上は何も言えなかった。理仁がオフィスに入った後、彼は急いでコーヒーを入れに行った。ドアを開けて入ると、九条悟が望遠鏡を持って窓から何かを見ているようだった。結城理仁は顔を曇らせ、大股で彼に近づくとその望遠鏡を奪い取った。「勝手に俺の物に触るな」「なんだ、なんだ、落ち着かない様子だな」九条悟はからかって言った。「君がデスクの上に置きっぱなしにしてたから、ちょっと借りて外を見てただけだよ」二人はデスクの前に座り、結城理仁は望遠鏡を置いた。「昼、奥様は来たか?」「悟、お前は